1796年戦役のベルナドット(2)

 後退を始めたフランス軍は、左翼のクレベール部隊はデュッセルドルフで、

中央と右翼はノイヴィートでライン川を渡るように移動した。しかし、混乱が

あったようで、後衛を任されたベルナドットは、6月17日に次の手紙を書いて

ジュールダンに次の行動予定を催促している。

”閣下、できるだけ早く命令をください。率直に言って、軽歩兵部隊をまだ最前線に

残しているので心配です。かれらは広範囲に散開しており、捜して呼び集めるには

私の参謀士官全員が必要になります。

側衛部隊を指揮しているメゾン大尉(*1)は、5時までナッサウに止まっており、

敵がナッサウで橋を完成させたとの報告をよこしました。”

(*1)今回の戦役から師団に配属された将校で、後にベルナドットの参謀、副官、

参謀長になった人で、同じような職務を務めるジェラール中尉より2歳年上。

ジェラールより1年早い1829年には元帥になっている。

 

  18日には中央と右翼はノイヴィートに着いたが、また橋が破壊されていた。

この点も昨年の秋季戦役と同じ。違うのは、味方のミスではなく、オーストリア軍が

筏を流して舟橋を破壊した為である(この辺はオーストリア軍に学習効果がある)。

橋の修理まで敵を抑える役目のベルナドットは奮闘した。その時の事をジュールダンは

回想録で書いている。

”ベルナドット将軍は、中央と右翼の全騎兵と第30半旅団を指揮して後衛を任されていた。

橋が修理されるまでの間、砲兵に援護されたオーストリア軍騎兵に近接されながらも、

後衛部隊は敵を寄せ付けずに戦い、最後は1兵も失うことなく後退できた。

その冷静さと部隊機動の精妙さには皆が感嘆した。”

 

<個人的感想>

 ジュールダンが誉めているが、ベルナドットは騎兵の使い方も上手かったようだ。

中央と右翼の全騎兵の規模は、約8ヶ連隊(竜騎兵、猟騎兵、戦列騎兵など)で

約3600人らしい。

 

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